「シーマンシップはルールかマナーか」問題

先日、Facebookで、基本的シーマンシップの一つ、ボラードを他艇と共用する場合の決まり事について、議論が盛り上がっていた。自艇が先にもやいを掛けたボラードに、上からロープをぐるぐる巻いて泊めた隣の艇がいたと憤っておられる投稿者に対して、「それは怪しからん」という意見と「そんなに目くじら立てなくても」という意見があった訳だが、これは、その種のシーマンシップはルールなのかマナーなのかが議論されているとも言えるのではないか。

ヨット遊びしようぜ; https://www.facebook.com/share/p/2QWM6uNB6naFossD

ボラードのお作法:https://yachtakane.com/archives/ボラードを使うときのお作法.html

ルールとマナーの違いについては、さまざまな定義があるが、自分は、「ルールは全ての人が守るべきもので、他人に強制することが許されるもの」、「マナーは自分が守るべきもので、他人には強制すべきで無いもの」とするのが、最も的確だと考えている。罰則による強制力を判定基準とするものもあるが、罰則規定のない法律などいくらでもあり(例えば売春禁止法第3条の買春禁止規定など)、そのような規定もルールであることは自明である。

では、ある決まり事がルールなのか、マナーに留まるのかを分けている基準は何なのだろうか?

一つには、規範性が確立しているかどうかである。ルールには明文化されたものだけではなく、慣習等の不文律も含まれるが、ある事柄がルールではなくマナーに留まるのは、ルールほど規範として一般化されていない、又はその規範性自体に疑問が持たれるからである場合がある。ビジネスマナーで、「出されたお茶を飲んではいけない」などという謎ルールを声高に唱えるマナー講師がいるが、そんなものに規範性は無い。

もう一つは、守られなかった時に相手に及ぼす負の影響がルールほどには大きくないということもあるのではないか。例えば、名刺を反対向けのまま渡されても、「なんじゃこいつ?」と思う以上に被害がある訳ではない。

因みに、ルール、マナーいずれも、遵守することが他者との関係を円滑にし、長い目で見れば遵守した方が自分にとっても有利であるという意味では共通である。

では、さまざまな海の掟や決まり事、つまりシーマンシップはルールなのかマナーなのか、どちらなのだろう。もちろん、事柄によるということはあって、例えば航路権規定の遵守などは、はっきりとルールに分類されるが、いくつかのシーマンシップ的決まり事は、ルールなのかマナーなのかのグレーゾーンにあるようにも見えなくはない。

上に挙げた、ボラードのお作法はどうか。「そんなに目くじら立てなくても」と発言した人たちは、これは、単なるマナーなのであって、その方がスマートだけど、強制されるほどの事ではないと考えておられるのだろう。

しかし、本件は万国のセイラーが何世紀も遵守してきたしきたりであって(つまり規範性は高い)、その合理性にも全く問題が無い。また、やられた時の負の影響という意味で言えば、アイスプライスされたもやいの上に別のもやいを上から掛けられた場合、相手のもやいに触れずに出港するのは不可能であり被害は大きい。これは、はっきりとルールだと言える。
唯一の問題は、このルールの周知性かも知れない。知らない人が結構いるのだ。
ただ、どうだろう、既に確立されたシーマンシップについて、知らない事を遵守しない理由にすることはできないのではなかろうか(因みに、わが国の刑法38条は、「罪を犯す意思がない行為は、罰しない」としつつ、「法律を知らなかったとしても、そのことによって、罪を犯す意思がなかったとすることはできない。」とする)

よって、隣艇が、自分のもやいの上に無遠慮にもやいを掛けたり(輪っかを下からくぐらせて掛けるのなら何の問題もない)、ロープをぐるぐる巻きにしたりしたら、ルール違反を指摘して抗議して良い。但、そうするかどうかは別問題だ(チンピラが禁煙の場所でタバコを吸っていても、すぐに抗議することが最善だとは限らないでしょう?)。穏便に解決できるなら指摘すれば良いが、自己防衛のみに留めるのも、賢明な方法であると思う。例えば、他艇と共有になると想定されるボラードには、スプライスされたもやいを掛けず、もやい結びで作った輪を掛けておくという手がある。これなら、やられてしまった時にも自分のもやいをほどいて脱出できる。

シーマンシップを無視した者には必ず天罰が下る。船の上で手を抜いたら、どこかの時点で必ずそれが原因でトラブルになって、手痛いしっぺ返しを受けるのだ。それはセイラーなら皆んなが経験している。そう思えば、ルール違反の輩にもそう腹は立たないのではないだろうか。

コメント

タイトルとURLをコピーしました