大学ヨット部とシーマンシップ

シーマンシップは、日本航海学会が1993年にまとめた基本航海用語集によると「海上生活と任務を円滑に遂行するための基本となるたしなみや技能」とされている(*1)。「船乗り精神」とでもいうような倫理的要素は含まれない(*2)。

それも良く言い表されていると感じるが、千葉宗雄さんという高名な船長が、シーマンシップは「(海の)生活の知恵であり作法」だと言われたそうで(*3)、自分はこちらがお気に入りだ。
多分お茶でもお花でも同じだと思うが、お作法ならば、まずは身体がその通り動かなければ話にならない。理屈はその後だ。

野本先生が常々言っておられた、「まずは余計なことを考えずにできるようになりなさい。全てのシーマンシップ にはちゃんとした合理的理由があるが、それはできるようになってからゆっくり考えてみると良い。」というのは、そういうことなのだろうと思う。

翻って大学のヨット部。これほど恵まれた環境はない。体育会の性格上、「ごちゃごちゃ言わんとやれ!」は、当然の原則になっている。ロープの扱い方、アンカーの打ち方、船の整備、観天望気等々、習うより慣れろで先輩から受け継ぐ。そして後輩に繋ぐ。教わるときは見よう見まねで良いが、教えるには理屈を知らないといけないので勉強もする。

そういう状況は理想的だと思う。

ただ、最近ちょっと気になることはある。それは、ありとあらゆることがマニュアル化されつつあるように思われる点だ。例えば、出艇の可否や救助艇への配員比率等は、天気予報と風速計とマニュアルに基づいて行うのだそうだ。

自分は決してマニュアル化に反対の立場ではないのだが、マニュアル→脳で認知→身体動作という一連の動きと、状況に対する(シーマンシップ的)条件反射とは、神経の情報伝達の方向が逆なんじゃないかという気がする。

最近聞いた話しだが、練習中に突風が吹いてボートが沈した。乗員の練度が低く、起こせないままリーショアが近づいてきたので、やむなく救助艇で完沈状態のボートを強引にえい航した結果、マストが折れ、艇体も損傷したという。

練度の低い乗員に責任を求めるのは酷であろう。自分もそうだったが全くの素人で入部してくる部員は多い。しかし、ゴムボートの救助艇がすぐそばについていたなら、救助艇からアンカーを打ってやることはできなかっただろうか?アンカーが効いて風上を向いたボートを起こすのは難しくないし、少なくとも気持ちの余裕が全然違う。

これを、沈艇救助のマニュアルが整備されていなかったからだと結論付けてしまうのは、少し違うのではないか?

リーショアが近かったらまずはアンカーを検討するというのは、シーマンシップ的条件反射だ。マニュアルがないとそこに考えが至らないというのは、シーマンシップが身についていないと言わざるを得ない。

マニュアルは良い。しかし、お作法はマニュアルだけでは身に付かない。ただ反復練習あるのみ。だから、せいぜいマニュアルは活用しつつ、シーマンシップを意識して日々練習に励んで欲しいと切に思う。

(*1)社団法人日本航海学会編 基本航海用語集 海文堂 p55
(*2)野本謙作 スピン・ナ・ヤーン 舵社 p238
(*3)橋本進 シーマンシップって何だ 日本航海学会講演予稿集 3巻1号 2015年4月30日

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