ヨットの長距離航海は冒険なのか?

まずは、日本人最年少で、単独無寄港・無補給ヨット世界一周を達成された木村啓嗣さんおめでとうございます。

これは紛れもなく快挙ですし、これを完遂された木村さんには大いなる賞賛が送られるべきですが、一方で、マスコミが堀江謙一さんをお隣に並べて「冒険の成功」を喧伝するような伝え方をするのには少し違和感を感じています。

「冒険」は、広辞苑(第6版)では、「危険をおかすこと、成功のたしかでないことをあえてすること」となっていて、微妙に違う2つの意味があるようですが、いずれの意味でも今回の快挙は「冒険」には当たらない気がするのです。

つまり、前者の「危険をおかす」が、現代のヨットでの長距離航海には当たらないことは自明でしょう。十分に準備された乗員と艇で長距離航海をすることに危険があるとは思えない。

それに、こちらの意味で、その成功が評価されるには一定の条件があります。
例えば、エベレストの未踏峰に挑戦する冒険なら一定の危険をおかすことを許容せざるを得ないのかも知れないが(私個人としてはそれも疑問ですが)、軽装で富士山に登る冒険をしますと言ったら、それは賞賛どころか非難の対象にしかならないでしょう。

一方、後者の「成功の確かでないことをあえてする」については、これはあくまで個人が設定した課題に対して、個人が取り組むだけの事であって、他人にはあまり関係が無いのではないでしょうか。
一例を挙げると、昔むかし、Kazi誌に西伊豆のクルージングガイドが出ていて、そのキャッチコピーに「石廊崎はボクらのケープホーン」なんてのがあったのですが(笑)、現実問題として、駆け出しサラリーマンセーラーであった僕たちには、石廊崎回航は文字通り大冒険でした。連休中に石廊崎を回って無事に帰って来て月曜に出社(!)できるかどうか「成功のたしかでない」、リスクの高い行動だったわけですけど(笑)、まあこれが成功したからと言って(また、失敗したからといって)、誰一人関心を持つ人はいないでしょう。

つまり何が言いたいかというと、木村さんに与えられるべき賞賛の内容とは、「冒険の成功」という観点ではなくて、若くしてスポンサーやパトロンを集め、周到な準備をして、予定通りの航海を達成したという、そのマネジメント能力なんじゃないかなあということなんです。それは後に続く長距離航海者のお手本となるだろうと思います。さらに言えば、そのあたりが(普通の人なら自分の稼ぎでヨットをやるお金を準備するということから始まって)ヨットというスポーツで重要な部分なんじゃないかとも思えます。

ところで、堀江謙一さんが、木村さんに祝福の花束を渡しておられたのを見て、ついつい思い出しちゃったのですが、「太平洋ひとりぼっち」にはこんな記述もあります:

最小限ギリギリの艇で、可能性を追求するんでなくては、せっかく太平洋をわたる意味がない。学生たちが、人から金をもらって、電気冷蔵庫つきの豪華艇でトランス・オーシャンをやるプランを立てている。なんて耳にすると、むしずが走る

堀江謙一著「太平洋ひとりぼっち」舵社2004年復刻版 p43

冒険家としての堀江さんの本音は「俺の隣に並ぶのは百年早いわ!」なんじゃないかと思います。ただ、堀江さんは、これまで数々のスポンサー付きのチャレンジを繰り返して来られた中で、達成に至るハードルの高さはよくご存知の筈で、その意味で木村さんの今回の成功には心からの賞賛を贈られているものと思います。

まあ、何はともあれ、テレビの全国ニュースでヨットの事が繰り返し報道されるのは、裾野を広げる意味で悪い話ではないのですけれども。

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