野本先生がシングルハンドについて語ったこと

先月に引き続いて、こんどは野本謙作先生がシングルハンドについて語ったことをまとめてみる。

  • 一人のほうが一番いい方法だとかこれが究極のヨットだとか、そういうことは私は言いませんけどね、一つのいいヨットの乗り方だということは言えますね…英語でセルフリライアンス(Self-reliance)という言葉があるでしょう…少し古い言葉で ”自ら恃む(たのむ)” なんてのが近いところですね。できるだけ自分の力で全てのことをやる。で、人には迷惑をかけない、人に頼らないという点ですね。それがヨットというスポーツの基本にあるところだと思うんです(CW)
  • 最後はやはり、自分だけだと思うんですね。それで苦労をしながら乗ってやっていくという結果 の達成感みたいなものが楽しいということなんじゃないかな(CW)
  • (一人で寂しくないか?と聞かれて)寂しくはないですよ、気楽に一人で乗るってのはね、ダラダラ気楽にっていうのじゃなくてね、クルーの都合や予定を考えたりというのじゃなしに、自分一人だけで自分の都合だけで動けばいいわけでしょ。そういう気楽さ、自由さがありますね…自分の力のなかで、無理をしないようにやる、そういう自由さですね(CW)
  • 年とってくると、大勢でがやがや乗るのはあまり向かないような気がする。それで、小人数で乗る。 行き着くと一人で、あるいは夫婦で乗る。それを可能にする第一歩は、これは無精をしないことだというのが、私の考えであります(セ研)

  • 数え切れないメンテナンスの仕事があるが骨身惜しまず、できるだけ自分でする。そうしておけば1人で乗っていて何かトラブルが起こっても様子が分かっているから慌てないですむ。メンテナンスだけではない。帆走中にセールのトリムにあまい所はないか、海図の上に船位のプロットはできているか、天気図はとったか。船を繋いだらもやい綱やアンカーロープに擦れ止めを巻かねばならない(SYn)
  • 「老年とは単に悪い習慣にすぎない」という、いささか負け惜しみ的な格言があるが、そんな悪い習慣を身につけないためにも一つ骨身惜しまずシルバーエイジの1人乗りをしてみたらいかがだろうか。(SYn)

ところで、この不精をしないということに関連して、先生がGPSへの全面依存に警鐘を鳴らしておられたのは良く知られている。それに対して、「頑固な保守志向で、ノスタルジーの人との印象を受ける」(きらきら丸のブログ:https://bit.ly/49ObfDo)とバッサリ切り捨てちゃった人もいるが、それは読み方を間違えていると思う。先生が言いたいのは、GPSに全面依存することによって、五感も含めたあらゆる情報を総合して航海する、船乗り本来の能力を劣化させてはいけないという事で、次のようなご発言を見れば真意がわかる。

  • ナビゲーションは一種のアートだと思います。アートとしてのナビゲーションには、ちょっと変な言い方かもしれないが、 疑い深くなることが大事だと、 私は考えております。どんなものも100パーセント信用できるものはない。GPSのデータなども…いつも疑い深く見ているのなら有益無害だと思うのですけど、悪いことに、GPSという道具はこういう疑い深さと馴染まない顔をしてるんですね。それが私、一番怖い気がいたします。(セ研)
  • GPSを使うのは別に悪いとは言わないけども、使うんだったら自分は海図の上にちゃんとプロットして使うとか…そういうヨットのクルージングというスポーツのあり方ですね、それを一番単純明快なかたちで体現するのが一人乗りだというところがあると思うんだな…そういうところが一人乗りというヨットのね、面白いところだと僕は思うんですね(CW)
  • 霧の夜だとか、そんな何が出てきてもおかしくないような状況が、海の上ではあります。そういうときのナビゲーションを語るときに、疑い深さと並んで大切なのは、注意深さであります。…音 、漂流物 、匂い、 五感にかかる全ての兆候を見落としてはいけない。それらのことがらは、コンパスやログやエコーサウンダーが与えるナビゲーションの情報を、あるときは補い、あるときは修正し、またあるときは危ないぞといって、警鐘を打ち鳴らすものであります。ナビゲーションのアートとはそういうものだろうと、私は考えております。…GPSだけに頼ることによって、そのような何千年にもわたって作り上げてきたナビゲーションのアートを、簡単に忘れ去ることの危険を強調したい、こういうことであります。(セ研)


今はチャートプロッターが良くなったので、必ずしもGPSのデータを海図に落とす必要はないだろうが、GPSが示す自船位置の水深が実測の水深と合っているか、また、海岸線や陸上の物標から推測される位置と齟齬がないかどうか、自船の進行方向に妙な白波が見えていたり、波が崩れる音がしたりしないか等々、常に脳と五感を研ぎ澄ませてナビゲーションしなければならないということについて、異論のある人はいないだろう。

 

 SYn: スピン・ナ・ヤーン(第2版)第9章
 CW: クルージングワールド 1993年12月号「シングルハンドの心」
 セ研: 第14回セーリング研究会特別講演「私の帆走哲学と春一番II」

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